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今週の韓国建設労組ニュース(11.9.27)

「チョン・テイルの母」であり「労働者の母」
イ・ソソン女史、息子との約束を守り天国へと旅立つ
(11.9.27)

 
故・李小仙(イ・ソソン)女史の路祭が開かれた清渓川の平和市場前。チョン・テイル烈士の像と故人の遺影(写真:9.23付 連合ニュース)       

2011年9月3日、40年以上にわたり労働運動の最前線で闘ってきたイ・ソソン女史(以下、オモニ)がその82年の人生に幕を下ろした。7月18日に自宅で倒れてから集中治療室で治療を受けてきたが、とうとう意識は戻ることなく、この日息を引き取った。
韓国の労働運動や民主化運動の前進に大きく寄与したオモニの葬儀は、9月7日に「民主社会葬」
という形で執り行われた。その前日にも全国各地で追悼行事が行われ、多くの人が「労働者の母」との別れを惜しみ、涙した。

 オモニはどのようにして「労働者の母」と呼ばれ、多くの活動家から慕われる存在となったのだろうか。
 それは彼女が、韓国の労働運動を象徴する人物チョン・テイルの母親であったからというだけではない。彼女自身が幾多の激しいたたかいをくぐり抜け、つねに労働者と歩みをともにしてきたからこそ、多くの人の信頼を勝ち得たのである。
 オモニは1929年、慶尚北道に生まれた。父は独立運動家だったが、彼女が幼い頃に処刑された。学校に通うことも出来ず、常に貧困のなかにいた彼女の人生は、長男テイルの死を契機に劇的に変わることになる。多くの貧しい労働者が働くピョンファ市場の真ん中で勤労基準法遵守を叫びながら焼身自殺したテイルは、息を引き取る直前、包帯にグルグル巻きにされながら母に最後の願いを託した。
 「労働者たちが暗闇のなかで働き続けているのを、僕はこれ以上見ていられなかった。僕は死をもって小さな穴を一つ空けるから、母さんは労働者や学生と一緒にその穴を少しずつ広げるのに頑張ってほしい。母さんがこの約束を守ってくれなかったら、今まで僕を育ててきてくれたことが全部嘘になってしまう」。
 この息子の言葉に対しオモニは「この身が粉々になろうとも、あなたとの約束は守るから」と返した。それ以降オモニは息子の遺志を継ぎ、40年以上の月日を労働者解放のために捧げることになる。41歳の秋だった。

 1970年、オモニはテイルの同僚たちと「チョンゲ被服労組」を結成、自身は顧問となってその活動を支えた。労組は1日15時間だった労働時間の短縮や週に1日の休日を実現させるなど多くの成果を勝ち取るが、その陰には貧しい労働者のために食堂を営んだり、古着を売って資金を稼ぐなどして活動を支えるオモニの献身的な姿があった。
 時には大胆な行動に打って出た。被服労組が活動を始めたころ、団体交渉が開かれないことに抗議し、「それなら大統領に訴えてやる」と大統領官邸前に一日中座り込み、ついにはパク・チョンヒ大統領との面談にまでこぎつけたのである。
 また1977年に被服労組を支援していた活動家が不当逮捕されたとき、裁判所において「弱者である労働者を助けるのが罪だというのか!」と発言、法廷侮辱罪で1年間収監されることになった。熱く激しく闘うのがオモニだった。

 オモニは現場の労働者とともに闘うだけでなく、愛する我が子を失った遺族としても活動した。1986年全国民主化運動遺家族協議会を創立、1993年まで会長として活動した。国家権力によって殺されたとみられる活動家の真相究明と名誉回復を求め、1989年には135日間の、1998年から99年には422日間の籠城闘争を敢行、ついには名誉回復のための特別法を制定させた。
 女史は常に身を賭して闘い続けたが、他の活動家が死をもって闘うことには常に反対してきた。過酷な籠城闘争を続ける活動家にたいして、生きて闘い続けなければいけないと諭すこともあった。息子のような犠牲者を二度と出したくないという、「労働者の母」としての思いがそうさせたのだろう。

 オモニは亡くなる直前まで闘争現場を駆け回った。労組潰しを目的とした偽装閉鎖に抗議し、造船所のタワークレーンに登り長期の籠城を続けるキム・ジンスク民主労総プサン本部指導委員を激励しに行くことを熱望していたが、体調不良のためついに実現しなかった。闘う労働者のためにその身を削ってきたからこそ、女史は「チョン・テイルの母」であるだけでなく、「労働者の母」として、一人の闘志として多くの人から愛され続けたのである。女史は「昔となんら変わったことがない。このままでは息子のもとに行けない」と語っていたが、きっと息子は天国で「お母さん、約束を守ってくれてありがとう」とねぎらいの言葉をかけ、母と子二人で平穏な日々を過ごしていることだろう。

 オモニはその溢れんばかりの愛で私たちに多くのものを残してくれた。しかしやり残したこともある。オモニは常に全ての労働者がひとつとなり闘わなければいけないと説いていた。
 「全ての労働者が力を合わせて人間らしく生きられる権利を勝ち取らなければいけません。みなさん、頑張りましょう。きっと私たちが勝利します。一つになりましょう。一つになればきっと勝ちます」
 「2大労総が一つにならなければなりません。なぜ別れているのか。私が死ぬまでに2大労総が一緒になる日がくるでしょうか?」
 実は韓国労総と民主労総の両委員長は、オモニに「一つになった」ところを見せるため、9月3日午前11時一緒に見舞う予定であったが、オモニの容体が急激に悪化、とうとう彼女の悲願を叶えることはできなかった。
 オモニの死後、両委員長は「一つになる」ことを誓った。全ての労働者が垣根を越えて団結し勝利すること。それこそがソソン・テイル親子への最大の恩返しになる。

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